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2018-01-25

Jasmine Editorial #05 豪雪極寒超真冬大特集

  It’s Underconstruction!
 こちらは茉莉花社・塩澤幸登のホームページです。
はじまったばかりなので不手際が多発してるかも知れません。
ぼちぼちやっていきますので、不如意をガマンしてください。

Jasmine Editorials #05
★沈黙図書館通信★
2018年01月24日号

★★★★★
表紙&扉
松任谷由実「埠頭を渡る風」+ 水道橋東京ドーム 夜景

大雪が降った22日、道路で三回滑って転んだ。
今年こける分を全部この日に終わらせたと考えることにしよう。
「埠頭を渡る風」はユーミンこと、荒井由実がダンナと結婚したあと、松任谷由実という名前になって、1978年だったと思うが、アルバム『流線形80』のなかで発表した歌。
わたしはこの歌を、自分の運転する車のかたわらに女房や娘たちを乗せて、何百回聞いたことだろう。この歌の舞台はユーミン自身の話では昔の晴海埠頭の周辺というのだが、わたしのイメージでは横浜の山下埠頭から新山下、それから本牧埠頭へと続く殺伐荒漠とした湾岸の広がりだった。そのあたりは無数の倉庫やコンテナパースがあるところで、自動車で走り抜けても荒涼としていて銀河系の果ての忘れられた惑星のようで、歌にぴったりの場所だった。
わたしにもユーミンの歌を本当にすごいと思って聞いていた時期がある。LPが発売になる度にレコード店にかけつけてレコードを買って、ジャケットのデザインを眺めながら、どんな音が流れ始めるのかを待つのが楽しみだった。何遍もくり返して同じ歌を聴いたものだ。彼女の歌は特に自動車を運転している時にイージーリスニングで、特にこの名曲『埠頭を渡る風』がバツグンだった。この歌はまずブラスの音が心を揺さぶるように流れてから、本当に星が流れるように歌声が聴こえてくるのだった。
ユーミンの初期の歌は本当にいい歌が多い。

初期のLP。デビュー作の『ひこうき雲』1973、三作目『MISSLIM』1974、
独立後の第一作『紅雀』1978
 1975年ころからいっせいに、ニューミュージックというジャンルが大衆音楽の世界に定着し、猖獗を極めたが、このとき、私はまず素朴に「これはおれたちの世代の音楽だ」と思った。事実、これらの歌をうたった人たちはけっこうやることが新しくテレビに出なかったり古い芸能界のルールとか全然守らなかったりした。私もこのとき、吉田拓郎とか井上陽水とか小椋圭とか本音で、自分の全実存を賭けて歌を作っているような気がして自分が関わっていた週刊誌に「同じ世代のリスナー代表として、ガンバって日本の音楽産業に革命起こして欲しい」などと原稿を書いたりしていた。ところが歌が思わぬメジャーヒットして、金が転がり込み始めたとたんに、吉田拓郎は森進一のために『襟裳岬』や『旅の宿』を書くし、井上陽水もなんだか特別扱いされたら嬉しそうなカオして不細工な風体でテレビに出始めて、要するにここに、全共闘運動にも敗れ、女のとりっこでも貧乏くじを引かされた[無一文系団塊の世代]の音楽的な[大妥協]が繰り広げられたのだった。あとから考えれば地方出身者の彼らの音楽は新しいけれども泥臭く、前衛的だったが「お嫁においで」とか歌の内容は古くさかった。ニューミュージックの潮流と既成の芸能界との合流は、三上寛がオドオドしながらテレビのレポーターをやったり、なぎら健壱がテレビタレントやったりと、天国の大塚博堂もびっくりみたいなところまでその[大妥協]は貫徹されたのだった。あとから思えば、アレも人生これも人生、生きていくためには仕方ないだろうみたいなところもあったのだが、そのころの私はけっこう血の気が多かった。それで、そのことを週刊誌でこの現象を批判して「最初に決めたところで、死ぬまで戦いつづけろ! 周囲を見回してオドオドするんじゃないよ、みっともないヤツラだ」ぐらいのことを書いたのである。松任谷由実についての唯一の自伝的書籍。すべて一人称の語り。
自分に都合のいいことしか語っていない。それが残念。
角川時代の見城徹が作家の山川健一を構成者に選んで作った本だ。
私は荒井由実と松任谷由実(結婚してアルファレコードをやめてダンナと雲母社[キララ社と読む]を始めたあとの彼女)とは大きな差があると思う。LPも『紅雀』、『流線形80』は刺激的だったが、とにかくたくさんのLPを出し過ぎ。当時のレコード業界で東芝の社員たちのボーナスのためにLPを作っているんだというウワサが立ったくらいだった。コンセプトを大量生産しすぎているのである。それ以降も中にはいい曲もあるが、どのくらい深く心を揺さぶる曲があるか、そのへんが中島みゆきと違う。
ユーミンのその周辺の話はいまから25年ほど前のことになるのだが、一昨年、アルファレコードの創設者であった作曲家村井邦彦の伝記である『村井邦彦の時代』を書いた松木直也がユーミンの周辺を取材して書いた『青春のエクシスタス』というノンフィクション小説があるのだが、これは扶桑社から本が出ることになっていたのだが、ユーミンが「こんなこと書かれたら困る」といって、出版にストップをかけた経緯があった。写真を見てもそうだが、彼女はとにかく最初から最後まで自分をキレイに見せることに一生懸命である。松木も扶桑社の担当者も口をつぐんでいるが、わたしの手元にはその現物の原稿がある。
話が前後するが、私はじつはユーミンに週刊誌記者時代に二度くらい、取材インタビューしたことがある。もう40年くらい前のことだから細かいことは忘れてしまっている。確か、どこか世田谷の喫茶店か何かで話した気がする。彼女をブスとは書かないが、顔的には〝いま一の女〟だなと思った記憶がある。私は面食いなのである。
そのとき、私がニューミュージックのシンガー&ソングライターたちのことを「日本の音楽シーンで革命を起こすんじゃなかったのかよ」というような批判をしたら、ユーミンは「あの人達だってお金持ちになる権利があると思う」というようなことを言った記憶がある。「あたし、青春ていう言葉が大好きなんです」とも言っていた。この「スカイレストラン」という歌も私の好きな歌。二人の女のあいだで迷った男を女の側から歌った、三角関係の歌。この歌は作曲者がテンプターズの「エメラルドの伝説」などを作った村井邦彦さんなのだが、なんだか歌の内容がリアルで、選ばれなかった女の意地と悲しみが伝わって来て切ない。この歌をうたっているのは、ハイファイセットの山本潤子。彼女はユーミンと違って技術的にもしっかりした歌唱力を持っているし、ユーミンにない女の優しさのようなものが伝わってくる。昔の声が出なくなって歌手活動をやめてしまったと聞いている。その話も切ない。

ちょっと別の話になるが、歌の使用というのはJASRACという音楽著作権団体が目を光らせていて、アメーバの中でこの原稿が二千字も書かないうちにNGが出たのは、JASRACのコードに引っ掛かっているという判断だったのではないかと思う。しかし、文章表現には著作権法で認められた[引用の自由]というものがあり、批評、評論の文章の中でその部分を引用する必然性があれば、それは無断での使用が認められることになっている。例えば、文藝春秋などはJASRACを利権団体と考えていて、記事なかに歌詞を引用したから料金が発生するなどという考え方を認めていないようだ。これはそこの編集者から直接聞いた話。私はマガジンハウスの出身だから、あまり乱暴なことはせず、書籍などで歌詞の引用をするときはお金を払うようにしているが、ネットの場合は印刷物とは同じに考えられないと思っている。ネットが有料であれば話は別だが、私はこれでお金を稼いでいるわけではない。原稿料の発生しない無料の原稿を書いているのだ。ネットはそういうことからもっと自由に、文章表現できる世界でなければならないと思う。利権が介入してきて表現の自由が脅かされるようなことがあってはならない。ネットの世界では誰か好きでない人の悪口を書いたり、非常識なことを書きつのることが頻繁に行われているが、この表現の自由はそういうことは別に考えなければいけないことだと思う。

目次

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[今週のテレビ番組ガイド]
『機動戦士ガンダム』テレビ番組と言っても、この番組がオンタイムで放送されたのは今から40年前、1978年のことである。いまはビデオ屋さんでDVDをレンタルしてもらって見る。話の始まりは名古屋テレビだったというのだから、もともとはローカルな話である。このアニメを一番最初に見たのがいつごろだったか、はっきりした記憶がない。ただ、ビデオが一般家庭に出回り始めたのは私の記憶では1985年ころからで、我が家でもその前後にビデオデッキを購入して、テレビ画面でいろんな映画、テレビドラマを見始めた。そのなかでも、『機動戦士ガンダム』は未来的な示唆に富み、古典的なドラマ性をふんだんに盛り込んでいて、全体がビルドウングス(ドイツ文化風の成長物語)の側面を持っていて、とにかく作品として豊かで、とにかく面白かった。
それ以来、毎年一回は見直すようにしている。最初は中学生とか、そういう人たちをターゲットに作った作品だというのだが、とにかくそのドラマ性は秀逸である。この毎年一回は必ず見るようにしている映画作品というと、『冬のソナタ』や『ローマの休日』、ハンフリイ・ボガードの『マルタの鷹』、オーソン・ウェルズの『第三の男』、リドリー・スコットの『ブレードランナー』、マリリン・モンローとロバート・ミッチャムの『帰らざる河』などがある。『ガンダム』もずいぶんたくさん後続作品が作られている。私はこれも一度はチェックしているのだが、どれも[一年戦争篇](一年戦争というらしい。これも事後的な命名である)ほどは面白くない。少なくとも私はそれらを面白いとは思わなかった。

歴史的な背景についてちょっと書くと、実はこの作品の前に、同様に大ヒットしたアニメなのだが、『宇宙戦艦ヤマト』という作品がある。これが放送されたのは1974年のことである。資料に寄れば、『宇宙戦艦ヤマト』があり、そのあと、その成功を参考にしてこの作品が作られたと言うことらしい。私見では、『宇宙戦艦ヤマト』もこの『機動戦士ガンダム』も当時、1970年代から80年代にかけての日本社会の大衆の状況を端的に反映している作品だと思う。しかし、この二つの作品のテーマ性は大いに異なっている。『ヤマト』のテーマは外敵(異星人ガニメデ)に対する抵抗戦争だが、『ガンダム』は人間たちの内輪もめの物語だということだ。このアニメをつなぐ状況は、当時は人気のスポーツだったプロレスの状況と酷似している。プロレスも1974年ころ、アントニオ猪木が新日本プロレスを創設した前後は、外人レスラーとの戦いがメインテーマだったが、最初、なかなか人気が出なかった『ガンダム』が話題になっていったのは80年に入ってからのことなのだが、長州力が「オレはお前の咬ませ犬じゃない」といって藤波辰巳に噛みついたのも1980年に入ってからのことだった。このテーマも内輪もめなのだ。これが沈黙図書館のガンダム関係の書籍。
私も一生懸命にガンダムについて勉強している。
この作品はヒーローが地球連邦側だけでなく、ジオン公国側にもシャア・アズナブルという貴種流離譚の絡んだアイドルが存在して、それに妹のアルテシア=じつは地球連邦の女戦士セーラ・マスが絡む入り組んだ人間関係で、それを全体でニュータイプという新しい人類の概念で包むという複雑な構成を取った。この企画性も秀逸だった。

作品の大ヒットの背後にあるのは、日本社会の歴史的状況だった。この時期、1980年ごろには日本社会は驚異的な経済成長が一段落した時期だった。それまでは、所得倍増計画などという話があったように、日本経済は猛烈な勢いで発展しつづけていて、会社がドンドン大きくなって新入社員がドンドン入社してきて、前からいる人達がドンドン課長になったり部長になって出世していった。1980年ごろというのはその企業発展の黄金時代が終わった時期だった。そして、会社組織がこれ以上大きくなることは期待できず、一つの課長の椅子を巡って同僚たちのあいだで、出世競争がくり広げられる、サラリーマンの世界でも仲間内でもめる時代がきたのである。JRが今やっているガンダムのスタンプラリーのパンフレット。
首都圏の65の駅を回らなければならないのだが、いい大人が夢中になっている。
『〜ヤマト』の場合は人類と異星人との戦い、つまり日本と外敵との戦いだったが、『ガンダム』は地球連邦軍とジオン公国の抗争ということになっている。しかし、そもそもは人類はまとめて一つで、そのなかの内輪もめの物語がこの作品なのである。JRの65の駅のスタンプを集めるのだが、一日で回れるのだろうか。
ガンダムはエネルギッシュなキャラクターだ。
そして、その状況は今も続いていて、日本は大量の低所得者を作り出していて新しい階級社会に変容しようとしている。

『機動戦士ガンダム』がキャラクター商品として、大活躍する社会状況が今も続いているのである。

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[今週の特ダネニュース]
木滑・甘糟・石川・椎根・塩沢の歴史学地政学的研究


昔つとめていたマガジンハウスでよく知っていた編集者たちの歴史的なつながりを調べてみた。歴史や地理のなかでそれぞれが妙な因縁でつながっているのである。
該当する苗字がどこの県に多いかを調べると上図のようなことになる。日本地図の赤い色の部分が、それぞれの苗字が際立って多いところ。それぞれに中部・関東・東北の長野・山梨・石川・新潟・栃木・茨城・福島・山県・宮城という地域にすっぽりはまる物語がある。バカにしないで読んでもらいたい。まずキナさん。
木滑さん自身が前に、「どっかに木滑っていう部落があって、そこは木滑っていう苗字の人間がいっぱい住んでいるんだよ」といっていたのだが、それがここのようだ。新潟市内に明治時代のある時期までは木滑村というのがあったという記録がある。ご先祖様はここから、江戸時代のどこかで隣の山形県の米沢藩に仕官したらしい。幕末に米沢藩に木滑要人(これでやすとと読む)という若年寄がいた。綱淵謙錠の書いた小説『戊辰落日』にその名が登場する。米沢藩は戊辰戦争の時、徹底抗戦の福島県を拠点にする会津藩と関東から攻め上がってきた薩長の連合軍(官軍)の板挟みになって、散々苦労している。いちおう官軍だったようだ。資料の『米沢人国記』の雲井龍雄のところに、赤線を引いたような記述がある。ここに、米沢の私塾ではないかと思われるが、塾生の名前があり、そこに木滑、甘糟、窪田の名前がある。窪田というのはマガジンハウス的に言うと、平凡出版時代の営業担当重役の窪田幸茂。窪田さんの田舎がどこかは不明だが、上記に窪田茂遂とあるが、遂という字を辞書で調べたら人名の時にはこの字を「ゆき」と読むらしい。ゆきしげとしげゆきだから関係があるに決まっている。多分茂遂は幸茂のご先祖様だろう。資料中に登場する甘糟継成とマガジンハウスの甘糟章との直接のつながりはわからないが、軍人で無政府主義者の大杉栄等を殺害し、のちに関東軍で満州国建設に一役買った甘粕大尉(甘粕正彦。最後は満映の理事長だった。敗戦時、服毒自殺している)は宮城県の出身なのだが、その出自について「宮城県仙台市で旧米沢藩士で宮城県警の警部だった父・甘粕春吉の長男として生まれた」とある。米沢の甘糟が、仙台で甘粕になったわけはわからないし、甘糟継成と甘粕春吉の関係も不明だが、甘粕正彦と甘糟継成が同族であることはまちがいないだろう。問題はそこから先だが、マガジンハウスの甘糟さんの実家は横浜で、戦前は米屋さんをやっていたという。米どころというと、新潟、山形、宮城とかが連想される。県別に甘糟の苗字が多い場所というと、群馬や宮城、それに神奈川で、おそらく甘粕正彦となんらかのかたちで縁戚がつながっているのだと思う。とにかく、昭和の時代のマガジンハウスは幕末の米沢藩にそっくりなのである。

それから、こういう場所を見つけた。場所は石川で、木滑と清水が道路でつながっているのである。
清水達夫はご先祖様は江戸時代からの江戸っ子で日本橋の生まれ、祖父は宮大工だったという。石川の方は父親は静岡から上京したというのだが、わたしはここから清水達夫と木滑良久と石川次郎の運命的に強い結びつきを感じる。私はこれを[清水達夫の釜の飯を木滑良久と石川次郎が食べた]というふうに解釈している。そして、石川次郎のご先祖様は石川県=加賀藩の出身ではないかと思う。

それで、問題は椎根和である。この人は奥州列藩同盟の盟主たるべき、会津藩松平の福島県の出身。下図の椎根という苗字の都道府県ランキングを見れば、椎根がいかに福島に多い苗字かわかるだろう。

幕末の木滑と椎根のご先祖様は敵味方に分かれているから接触があったかどうかまではわからないが、キナさんのご先祖様と椎根さんのご先祖様が磐梯山一つ隔てて、明治維新を迎えたことはまちがいない。
そして、最後は塩沢である。この苗字がまた、長野、山梨、新潟、福島にやたら多い。都道府県ランキングはこうなっている。塩沢という名前の付いた地名をさがすと次のようなことになる。
塩沢という地名は各所に存在する。キナさんの本拠地である新潟にはJRに塩沢という駅まである。また、椎根さんの本拠地である福島県にはこんな場所がある。
これで、木滑・甘糟・石川・椎根・塩沢がどれほど強い因縁関係を持っていると言うことがわかってもらえると思う。また、石川次郎と私がどれほど地政学的にも歴史学的にも強く結びついているかが分かると思う。

福島県石川郡石川町塩沢の〒番号は963-7804。もうちょっと年をとったら、ここに引っ越そうかと思う。

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[編集後記]
人生最大の寒さと女房の発熱について

後書きに邑元舎の元村和彦さんとロバート・フランクの写真集のことを書こうと思ったが、後書きで片づけるような軽い話ではないので、来週、あらためて章をたてる。

大雪が降ったせいか、とにかく寒い。私の記憶ではこんなに寒いのは生まれて初めてかも知れない。私がこれまで体験した今までで最低の気温は、1984年の12月に韓国のソウルで経験した零下7度だった。寒いと逆に気が引き締まるような気もする。

女房の発熱が軽い話だというわけではないが、インフルエンザが猛烈な勢いで蔓延していて、女房(茉莉花社発行人の堀内明美、高田馬場の山本富士子)も39度の熱を出して倒れてしまった。これの看病をしながら、仕事を続けている。
病院に連れていったら、看護士(♀・48歳・人妻)に「次はあなたの番ね」と脅かされた。うがいと手洗いを心がけて、妻にキスなどしないようにしている。

今週はここまで。 fini.

 

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