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2018-02-07

Jasmine Editorials #07 春よ来い早く来い特集  

It’s Underconstruction!
こちらは茉莉花社・塩澤幸登のホームページです。
はじまったばかりなので不手際が多発してるかも知れません。
ぼちぼちやっていきますので、不如意をガマンしてください。

Jasmine Editorials #07
★沈黙図書館通信★
2018年02月07日号

★★★★★
表紙&扉
茨木のり子『自分の感受性くらい』+
湾岸情景(レインボーブリッジ周辺)

茨木のり子は大正十五(1926)年大阪生まれの名古屋育ち、父親は医者。帝国女子医学薬学理学専門学校(現・東邦大学薬学部)卒業だが、薬剤師として働いたことは一度もない。最初は童話作家として文筆活動を始め、詩作に進んだ。医師の三浦安信と結婚し、埼玉県所沢市、新宿区神楽坂、豊島区池袋と住所を転々とし、そのあと西東京市東伏見家を建てて暮らしたとある。
彼女の場合は女流詩人としてというより、女の立場を越えて、戦後詩の代表的詩人として活動した、と書いてもいいかもしれない。
大正十五年生まれと言うことは、昭和元年(一週間くらいしかない)の生まれ。世代的には三島由紀夫や吉本隆明などと同じ世代で、戦争が終わったときに二十歳前後だった。

独特の雰囲気を持っている、この人もきりっとした美人である。
詩の作風は女性的と言うよりは、女性の受動的な感覚をあまり前面に出さず、男の詩人が書いてもおかしくないような、倫理感覚の強い詩が多い。男装の似合う麗人の書いた、愛する男に書いた愛を告白しないラブレターのような作品が多い。

詩集の『倚りかからず』は1999年の作品。戦争を経験して、戦後の五十数年の風雪を生きた感慨が読まれている。彼女の人間としての倫理的なこだわりがよく分かる。戦後社会の有り様を信用していなかったのではないか。

戦争の記憶を読んだ詩だが、これも困難な時代を必死で生きた人間の詩想を倫理の抑制を効かせながら、美しい作品に仕上げている。女性的な作品だが、根底に諦観があり、思いきりのよいサバサバした感じが伝わってくる。夫の三浦安信に死なれたのは彼女が49歳のとき、1975年のこと。このあと、ずっとひとり暮らしだったようだ。亡くなられたのは79歳で、年譜には「二〇〇六年二月十七日、くも膜下出血のため東伏見の自宅にて死去。十九日、音信不通のため訪れた甥により発見される。葬儀、偲ぶ会は行わず、生前に用意された手紙が親しい友人、知人に送られた。四月、夫の遺骨が眠る山形県鶴岡市の三浦家の墓に納骨された」とある。

死の翌年、2007年に詩集『歳月』が刊行された。この詩集のなかには、結婚25年で死別した夫への愛の想いが綴られた作品が多く収められている。作品からは愛した夫に死なれた女の悲しみがヒタヒタと伝わってくる。「急がなくては」はそのうちの一つだが、こんな作品もある。「その時」という題が付いている。
セックスには死の匂いがある
新婚の夜のけだるさのなか わたしは思わず呟いた
どちらが先に逝くのかしら わたしとあなたと
そんなことは考えないでおこう
医師らしくもなかったあなたの答
なるべく考えないで二十五年
銀婚の日もすぎて 遂に来てしまった
そのときが 生木を裂くように
愛し合った夫婦の愛の宿命を思わせて切ない。

目次

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[今週の映画ガイド]
上野圭一監督作品 『スワノセ・第四世界』

フィルムセンターでいま、こういう催し物が行われている。

【2018.1.30 – 3.4 上映企画 発掘された映画たち2018】
フィルムセンターが新たに発掘・復元した映画を紹介する企画「発掘された映画たち」を4年ぶりに開催します。初めてその全体像が明らかになった“皇太子渡欧映画”(1921年)、無声版の現存が初めて確認された横田商会製作の『忠臣蔵』(1910-1912年)、日露戦争と関東大震災の記録映画等の「複数バージョン」特集、また、17.5mmやコダカラーといった短命映画規格のフィルムを多く含む阿部正直コレクション特集、明治大正期に創業した企業の貴重な記録映画特集、『ここに生きる』(1962年)や『ヴェトナム戦争』(1967年)等独立プロの作品、さらにはアグファカラーの色の歴史的再現を目指した『浮草』(1959年)のデジタル復元版や、映画完成時の色味を再現した『セーラー服と機関銃 完璧版』(1982年)の再タイミング版など、計89本(30プログラム)の作品を上映します。『スワノセ・第四世界』は忘れられていた貴重な記録映画の一つ。映画は1975年の作品だが、日本で唯一のヒッピー運動を記録したドキュメンタリーである。トカラ列島の孤島、諏訪之瀬島に移住したヒッピー達の生活と意見、それにつながるアメリカのヒッピー達の運動を記録したもの。監督は、元フジテレビのディレクターで、アンドルー・ワイルなどの著作の翻訳で知られる上野圭一氏。いま、上野さんといっしょにこの映画のDVDブックを作っている最中。一昨年からずっとこの本を作っているのだが、このイベントがあるので、本の刊行を今年に延期していた。


上野さんから預かった資料のファイル。当時の関係したデータが大量に量、納められていた。これを整理して資料集を作って、わたしの書いた映画製作のノンフィクションと一緒にして本にする予定だ。

これがいまの諏訪之瀬島、去年の春、現状を取材しに訪れた。なかば忘れられていた第四世界の思想は、いまこそよみがえる価値があるのではないか。

★★★★★
[研究レポート]
池袋という町の構造はどうなっているか

池袋というのはステキな町だ。どうしてこんなにステキかというと、この町くらいいろいろな要素がステキなバランスで調和している町はないのである。この町には人間の営みのあらゆる場面が存在している。それはこういうことだ。 
まず、西口の左側。芸術と教育の空間。
写真は左上立教大学、左下が自由学園、真ん中の上東京芸術劇場、下はものすごい高級マンション、屋敷町でもある。右端は美大の予備校、すいどーばた美術学院。この地は戦前は池袋モンバルナスと呼ばれていた。

続いて東口の左側。宗教的空間と死後の世界につながる場所。


写真の左上は雑司が谷霊園の夏目漱石のお墓。左下はキリスト教の牧師館、右側の上段は雑司ヶ谷鬼子母神、下段は大鳥神社。これは豊島岡御陵、護国寺へとつながり、かつては運河沿いに御茶ノ水から江戸城につながっていた。

続いて西口の右側。飲食と風俗の享楽の町、それに多くの中国人などが住みつく、異文化空間を形成している。外れにはラブホテル街がある。
行儀の悪い池袋を代表する部分。終戦直後はここはスラム街だった。五木寛之は『青春の門』で池袋のこの地域をこんなふうに書いている。
池袋の町は、ようやく暮れようとしていた。西口のマーケットの一画には、すでにネオンと、流行歌のレコードと、ヤキトリの煙とがあふれて、そこだけ別の通りより早く夜がやってきているように見える。信介は西口マーケットの外側をぐるりと歩き回り、大体の地理を頭におさめた。それから、迷路のような路地を端の方からゆっくりたどっていった。そこは以前、古い映画で見たアルジェのカスバを思わせる場所だった。小さな一間ほどの間口の雑多な店が入り組んでつづいており、ベニヤ板とトタン屋根と、傾いた軒と派手な看板、そしてモツや、煮込みや、いろんな種類の匂い、そして水たまりと、臭気が混じりあって渦を巻いている。  昼間から酔っぱらった労務者たちが大声で叫び合っている店があった。太腿までスカートをめくりあげ、うちわで風を送っている乳房の大きな娘もいた。
戦後すぐ、昭和二〇年代後半の池袋の様子である。

続いて、東口の右側部分。もともとは政治、行政的空間だったが、払い下げによって、高層ビルの建ち並ぶ、まったく新しい都市空間になろうとしている。


東口右側、写真左上段はサンシャインシティ、かつて巣鴨プリズンと呼ばれる刑務所があったところ、東京裁判の被告達が絞首刑された場所だ。下段は隣接するトシマ郵便局、写真右側上段は大蔵省造幣局跡地、再開発中。写真右側下段サンシャイン脇の公園にある石碑、ここが刑場跡。石碑の裏面にはこう書かれている。
第二次世界大戦後、東京市ヶ谷において極東軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑がこの地で執行された。戦争の悲劇を再び繰り返さないために、この地を前述の遺跡とし、この碑を建立する。昭和五十五年六月
書かれている文章の重要性に比べて、石碑の佇まいはあまりにもひっそりと目立たず、それが悲しかった。この地はいま、次々と高層ビルが建てられて、巨大なビジネス街に変貌しようとしている。

池袋は多面的で複雑な構造の町だが、そこの至る処に、様々の商業施設、消費のきっかけが存在している。渋谷とか新宿とか品川などの町の構造分析もしてみたが、池袋くらい絶妙な均衡の町はない。この町が外国人も平気で飲み込んでいく柔軟な構造を持っているのは、並列する要素として、芸術教育、宗教空間、政治的歴史性、などの奥深さが確固として存在しているからではないかと思う。

★★★★★
[編集後記]
韓国男性音楽グループの活躍について


左から防弾少年団、東方神起、超新星、いずれも日本の女のコに人気爆発

昔、某有名女子編集者である元祖オリーブ少女の編集長、淀川某女子と話をしていて、「あたし、東方神起大好きなのよ」というので、驚いたことがある。韓国の音楽グループは日本の芸能音楽産業のなかで一時、韓流ブームを背景に盛り上がって、そのあと、なんとなく下火になったような印象があったが、ここのところ、テレビのエンタメ・ニュースなどで大会場に何万人と集めたというようなニュースが連続して流されていて、日本の女の子たちの根強い、韓国の男性タレント達への憧憬を強く感じている。

この光景を見るたびにわたしが連想するのはアメリカの歴史学者(1990年代にはフロリダ国際大学歴史学科の教授だった)エリック・リードがその主著『旅の思想史』(1991年、法政大学出版局)で書いた、次のような文章である。彼は「旅は独自の〝性の経済学〟を持っている」といい、こう書く。
定住と礼節という状況下では、旅は「性別化」され、男女の差異を強調する「性別化」行動となる。歴史的に言って、旅をしてきたのは男である。女は旅をしなかった。あるいは旅をしたとしても男の保護のもとで旅をしたのであった。この旅における男女の配置は、到着時の性的関係を、土着化を迫る女性的大地への異人──の吸収として劃定した。
これはなにを意味しているかというと、異文化を持ち込むのはつねに男の役割で、女はそれを受け取り、それを理解し受容し、性的な関係を結んで男の種を宿して、異文化そのものを自分のものにする、それが歴史的なくり返しのなかで、そのようにして外国の文化は日本の生活に吸収され、表面的なものから伝統的なものへと変化していくのである。
韓国の男性音楽グループを見ていると、上記のケースの遠方から旅してきた男の役割を果たしているように思われる。日本の女たちはこれを受容し、これに熱狂する。この背景には、もちろん日本の芸能行為のギャランティが韓国の10倍くらいあるという、誰も話題にしない隠された事情があるのだが、それは、女たちの熱狂とはまた別の問題である。これは、いまや逆の形も出現していて、少女時代とかトワイスとか、女のコをズラリと並べるグルーブが流行している。これは逆ケースだが、逆だと言うだけで、構造は同じである。男が女のコのアイドルに夢中になるのはわたしはみっともないと思うが、現実なのだからしかたがない。

いずれにしても、ここでは、異文化と接触する日本のドメスティックな文化の受容の原理が相変わらず生きている。これは以前は、アメリカやヨーロッパから訪れる男たちが中心だったが、アジアの男たちが押し寄せてきたということは、日本が欧米からの文化受容をある程度、終わらせたということなのだろう。

女性の感性は基本的に光りを求める昆虫のように刺激的なものに対して反応する。たぶん、これは日本の大衆文化が健康な状態にあるという証拠なのだろう。

今週はここまで。 fini.

 

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