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2018-02-21

Jasmine Editorials #09 白熱超極寒韓国大特集

今週のテーマは韓国。内容充実の合併特大号です。

It’s Underconstruction!
こちらは茉莉花社・塩澤幸登のブログです。

Jasmine Editorials #08
★沈黙図書館通信★
2018年02月21日/28日合併特大号

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表紙&扉
与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」

利尻島原野風景(Presented by 京都・近藤忠裕)

多分この作品は、近現代の女流の詩人が作った、もっとも有名な作品ではないかと思う。表題のそばに「旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて」という副題が付いている。作品の発表は1904年、日露戦争の乃木希典率いる日本陸軍が旅順の港を封鎖する作戦展開中のことである。詩にはこういう続きがある。

詩が作られてから100年以上経つのだが、詩の持つ感動は色あせない。時流を越えた力を持つ反戦詩としてももっとも印象的な作品である。夫の与謝野鉄幹と共に主宰していた雑誌『明星』で発表された。天皇陛下や国家のことなんかどうでもいいという、多分、女でなければ許容されないような内容の作品だが、明治のこの時代が、必ずしも軍国主義一辺倒でなく、人間的心情を吐露した文学作品に鷹揚で在ったことが分かる。

与謝野晶子は明治11年の生まれと云うから、世代的には有島武郎、永井荷風らと同世代で、作品の多くは恋愛感情の高揚を多く詠ったものである。

その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
椿それも梅もさなりき白かりきわが罪問はぬ色桃にみる

『みだれ髪』のなかの作品だが、倫理を越えた(つまり、不倫しても平気な)女の激情が背後に秘められている。
彼女は女房持ちだった与謝野鉄幹と恋愛して、略奪結婚し、鉄幹とのあいだに12人の子供(6男6女)を産んでいる。好きな男に一生添い遂げた。
卑俗な話になるが問題は鉄幹で、この人は相当、女にもてたらしい。この人も詩人というか、歌人でもあったのだが、こういう短歌を作っている。これも明治34年の発表。

われ男の子意気の子名の子つるぎの子詩の子恋の子ああもだえの子

鉄幹の作品で今も愛唱される詩は「人を恋ふる歌」。こういう作品だ。

妻をめとらば才たけて顔うるわしくなさけある
友をえらばば書を読んで六分の侠気四分の熱
恋のいのちをたづぬれば名を惜しむかなをとこゆえ
友のなさけをたづぬれば義のあるところ火をも踏む(以下略)

与謝野鉄幹もわたしがまだ14歳くらい、中学生のころ、夢中になって読んだ詩人のひとりなのだが、そのころ一番好きだった作品は「敗荷」。いまもいい歌だなと思う。なにも知らずにいたのだが、作品解説を読むと、三好達治も萩原朔太郎もこの作品を、鉄幹のナンバーワンに推奨している。


この作品も発表されたのは明治三十四年で、『明星』創刊の翌年のことだ。作品中の『君』を晶子だと思ったら大間違いで、同じ女流歌人の山川登美子だったという。鉄幹は登美子を〝白百合の人〟と呼んでいる。「敗荷」というのは、たしか[はちす]と読み、折れた蓮の茎のことだったと思う。つまりこれは、三角関係を歌った詩なのである。鉄幹と晶子が結婚したのはその年の秋のことだが、同じ年に登美子は親に勧められた別の男性と結婚し、翌年、死別している。結核だったらしい。夫から移された結核が原因で山川登美子が亡くなったのは八年後のことでまだ29歳だった。
百年以上前の話だが、今もこういうことが起きているのではないかと思う。人間はいつも自由に生きようとして悲劇を作り出している。わが身に照らしても、思いは深まる。


目次

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[今週のグルメガイド]
お手製のユッケジャンスープについて

わたしは子どものころから、ラーメンにドバドバ胡椒をかけて食べ、親から「身体に悪いから止めなさい」と怒られるくらい、辛い料理が好きなのである。わたしが今まで食べた料理の中で、一番辛かったのは、三原橋交差点のところにあるカレー屋さん「ナイル」の「黒胡椒スープ」。少しだけ味のするスープに塩味をつけ、そこに黒胡椒を思い切り溶かし込んだモノだったが、ビルマ料理という話だった。これはメチャクチャ辛かった。50年くらい前の、わたしが銀座に勤めはじめたころの話である。誰も注文する人がいなくなったのか、このスープはその後、いつの間にか店のメニューから姿を消した。韓国料理は子どものころ住んでいた近く(世田谷の若林)に朝鮮料理屋があり、そこでコムタン雑炊をよく食べた。ユッケジャンスープに出会ったのは、平凡出版で働くようになってからで、徹夜仕事のあと、先輩編集者に新宿の長春館に連れていってもらって、「ウンと辛い料理が食いたい」といったら、このスープの存在を教えてくれた。それから、焼き肉屋さんに行ってスープというとユッケジャンスープを頼むようになった。
近年、何でもかんでも食品パックにして商売するようになり、参鶏湯とかカルビクッパに混じって、写真の右端のパックを発見し、買ってきて、自分でいろいろにいじくり回し、豆板醤を入れたり、黒胡椒を足して、それに肉や白滝、キノコやあれこれを足して、シオザワ流の[ユッケジャンスープ]を作り出した。
それをカミさんや娘たちに試食させ、人体実験みたいなことをやっているのだが、カミさんは「こんな辛いモノ、よく食べるわね」といい、心臓に悪いから止めろというのである。
それでも美味しい。ペースになるパックがあるとはいえ、まさか自分で、ユッケジャンスープを作って食べる時代が来るとは思わなかった。
なお、韓国料理全般について云うと、わたしの印象では、韓国で食べる朝鮮料理より、日本の朝鮮料理の方が美味しい。これは中華料理も同じ。台湾は行ったことがないので、どんな料理を食べているか分からないが、中国本土の中華料理はわたしの経験ではたいしたことないような気がしている。

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[今週のテレビ番組ガイド]
『冬のソナタ』と韓国映画・芸能について

最初、バカにしていた『冬のソナタ』を見て、ビックリしたのは話題になり始めてから一年くらいしてからのことだから、2003年とか4年のことではないかと思う。

ドラマを見て、だれもがもった感想だと思うが、自分の高校時代の思い出をなぞっているような作品だった。自分が学校の教室にいて、物語のなかのひとりのような気がしてきた。
ペヨンジュンもチェジウもステキだった。話の流れに性的な部分はほとんどなく、二人がいつごろコトに及んだかなど、省略されていて、清純な流れの恋愛感情の流れを物語にしたような筋書きだったが、そのこともこの作品をすがすがしい印象のモノにしていたと思う。ドラマは韓国のシナリオ独特の記憶喪失や交通事故などなどをふんだんに盛り込み、やたらと場面を美しく見せるカットをはめ込んだ筋書きなのだが、そういう意味では、ユジンもカンジュンサン(강준상)も画面を持たせることの出来るオーラを放っている女優と俳優だった。
『冬のソナタ』はVAPが発売したBOXのDVDの七枚組を持っていて、1年に1回ぐらい、引っ張り出して見ている。作品の中には印象に残るセリフがいっぱいあるが、今は急に思い出せない。ただ、カンサンジュンが視力を失わなければ、二人は結ばれなかったのかと思うと、やはり悲劇だった。人生の本質は悲劇、だからこそ、そういうなかだからこそ、(つかの間のものかも知れませんが)歓びや幸せが重要な意味を持っている。
わたしはそう考えている。

韓国映画がいきなり面白くなっていったのは1999年の『シュリ』からだったと思う。これは北朝鮮の工作員と韓国の諜報部員の悲恋を描くという刺激的なテーマの映画だった。おぼろな記憶だが、このころの韓国の大統領は金大中で、映画づくりの奨励を国策の一部にして、良質の映画を外国に輸出したいという文化政策に基づいて作られたモノだった。これによって、韓国映画の質は大幅に向上し、話題作が何本も作られた。そのうちの最大のヒット作品が『猟奇的な彼女』で、これは国民の500万人がみたという大ヒット映画になった。日本では正式に映画館で封切り上映された映画ではないのだが、次第に面白さが話題になって、認知されていった。わたしはこの映画のビデオテープもDVDも持っていて、マリリン・モンローの『帰らざる河』やマイケル・ペレの『ストリート・オブ・ファイヤー』などと同じように時々引っ張り出して、見て面白がっている。このほかに、わたしは1970年代、80年代に作られた韓国映画のVHSのビデオテープを3本、持っている。これは李美淑が主演した『桑の葉』とか、八代亜紀のヒット曲みたいな『愛の終着駅』と『愛の望郷・激流を越えて』。いずれもパッケージに韓国内の映画祭で何部門かで部門賞を受賞をした作品と書かれているのだが、これらの作品はビックリするくらい程度が低い。記憶喪失と交通事故と恋人たちのすれ違いの連発で、なんだこれはというようなストーリー展開で、そのころの韓国映画の実情を如実に即時的に理解することが出来る。しかし、出演している女優たちはみんなキレイだ。どのくらいキレイかは、下の1983年の韓国の美女カレンダーに使われたポートレートを紹介して、分かってもらおう。

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[韓国女のコ カタログ]
1980年代 カレンダーガール

わたしの沈黙図書館には膨大な量のなんの役にも立たない資料が保存されている。今回はその中から、35年くらい前(1983年)の韓国のカレンダーに登場したカレンダーガールたちの色っぽいピンナップ写真を展示。真ん中の女の子が70年代の韓国のトップスターだったチョンユンヒではないかと思う。彼女は姦通罪で逮捕され映画界から追放された、たしかそんな記憶がある。

多分、この人たちはみんな、女優とかモデルではないかと思うが名前はわからない。いまはもうみんな六十を過ぎているはず。みんな美人のままでいるか心配だ。

これらは1984年の『平凡パンチ』、韓国特集の取材で女優達の写真撮影のために集めた資料の一部、なんとなく捨てられなくてとってあった。無価値だがわたしにとってはノスタルジックな思い出につながる写真です。

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[レポート①]
二冊の雑誌の韓国特集 [韓国からの誘惑]

この二冊がシオザワが作った韓国特集。『平凡パンチ』とムックの『ガリバー』。二冊とも大きな話題を呼んだ。

『平凡パンチ』は1984年末の発表。このときの編集長は石川次郎。ネットのなかで画像を見つけた。ソウルのロッテホテルに3週間滞在して作った。この表紙写真の撮影は長濱治氏、モデルは李浦姫。発行部数40万部、調査店販売率99.9%、1000冊配本で残は1部、つまり完売だった記憶がある。この雑誌については拙著の『編集の砦』というノンフィクションのなかで、このときの雑誌作りの詳細を紹介している。


『ガリバー』の韓国特集は、2000年から2001年にかけて作った四冊のムックのうち一冊。このころには会社を辞める準備をしていて、最後の思い出みたいなつもりで作った雑誌なのだが、このころというのはちょうど金大中の日韓宥和政策の時期で、韓流のブームがやってくる、さきがけになった雑誌だった。
取材を行った時期は2000年のことだった。ソウルを訪れたのは15年ぶりのことだったのだが、町の有様はすっかり変わっていた。84年にはコーヒーというとネスカフェしかかなかったのが、16年後にソウルを訪れたときには美味しいドリップ式のコーヒーが飲めるキレイなカフェとか、清潔でオシャレなレストラン、ビュトン、アルマーニなどのブランドのショップなども出店していた。街の勢いを付けた変化を一冊の中に閉じこめた。

『平凡パンチ』の方は、韓国の大衆文化を紹介するカタログ雑誌だったが、そのあと作った『ガリバー』は韓国旅行をするためのガイドブックだった。

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[レポート②]
新大久保放浪

かつては肉体労働者たちの街だった新大久保に在日の人たちが集まり始めたのは、やはり21世紀になってから、韓国文化が韓流と呼ばれて、一種のブームになってからだと思う。全盛時には韓国からの雑貨、化粧品を売るショップや韓国料理屋さんが狭い路地に至るまで軒を並べた。

韓流はその後、反動があり、街でヘイト・スピーチや嫌韓デモが行われ、一時、街は人出が寂れた。時々、自転車で通ると、レストランが中国人旅行者たちのための簡易宿泊所になったり、タイ料理のお店になったりして、街の様子がすっかり変わっていた。
それがオリンピックが開催されて、様子がどうなっているか、韓流のタレントたちが勢いをぶり返していることもあって、一昨日(2月20日に)様子を見に行った。そしたら、街は大変な騒ぎになっていて、日本の若い女の子たちが大挙して集まって、韓国風の軽食を食べさせるスタンドは人だかり、行列していて、街の人出は韓流の全盛期よりもすごいことになっていた。ウワサの[タッカルビ]を提供するレストランは長い行列が出来ていた。

これはやっぱり韓国のオリジナルの文化に対して、日本の人たちが新しい意味を漠然とかも知れないが、再確認するように感じているということだろう。それが持っているエネルギーを浴びたくて街に集まってきている、というふうにわたしは解釈している。池袋の北口は中国から来た人たちでにぎわっているが、新大久保はそれ以上の賑わいだった。新大久保はいまや、異文化の刺激を求めて、うろつき回る価値のある街である。

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[編集後記]
携帯電話をどこかで落っことしてしまった


ドコモから手紙が来て、板橋警察署に保管しているとのことだった。手紙を受け取った翌日、警察に受け取りに行った。携帯電話を無事回収。一週間くらい携帯電話に束縛されていない生活をした。自由なホッとした気分だった。

今週はここまで。  fini.

 

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