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2018-03-07

Jasmine Editorials #10 やっと春 has come.

ついに春が来た!

It’s Underconstruction!
こちらは茉莉花社・塩澤幸登のブログです。

Jasmine Editorials #10
★沈黙図書館通信★
2018年03月07日号

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表紙&扉

黒田喜夫「除名」

利尻富士光景(Presented by 京都・近藤忠裕)

これまで女流詩人を中心に取り上げてきたが、この号からは、男女の隔壁を取り払って、わたしの好きな詩を取り上げて、自分なりの思いを書きしるすことにしよう。まず、黒田喜夫の「除名」。

黒田喜夫は1926年、昭和元年の生まれだから、三島由紀夫(1925年生まれ)や吉本隆明(1924年生まれ)と同世代のいわゆる敗戦派の詩人である。

三島は東大、吉本は東工大の出身だが、この人はウィキペディアのキャリアの部分を引用すると、[山形県寒河江の生まれ。高等小学校卒業後、上京して京浜工業地帯で工場労働者として働く。戦後は日本共産党に入党、郷里で農民運動に参加するが胸を病み、療養しながら詩作を行う]と書かれている。小学校卒業の学歴で詩人としてスタートし、安保闘争のあった昭和35年、第一詩集の『不安と遊撃』でH氏賞を受賞している。
「除名」は翌昭和36年、黒田が安保闘争での日本共産党のやり方を批判して、評論活動を行ったのが、入院療養中(結核だったらしい)に党から除名処分を受けたときに作った詩である。政治的な独善性に対して、文学作品が抵抗の牙をむいてみせた、戦後詩の代表的な作品である。
往々にして政治活動のなかには個人の主義主張、信条は生かされにくく、個別の人間的な都合は封殺されるのが普通である。しかし、政治的主張は多様なものであってはならず、独善性が命なのであり、それがなければ政治的行動は成立しないが、その集団を成立させている構成員、個人個人の倫理や理法をどれだけ尊重できるかで、組織は崩壊してしまったり、堕落してしまったりする。それの代表的な例は自民党と共産党であり、自民党はなんでも吞み込んでしまう、なんでもありで何をし出すか分からない、広大な怪物的な集団だし、共産党は自党の存在基盤を基本的にはアカハタに依拠して、ピュアな存在であろうとする政治主張をもつ集団だが、共産党は多数党になることはなかなか難しく、現実としては体制内体制維持装置の一部になって存在している。政治は勢いをつければすぐそこに、かつてスターリニズムと呼ばれた政治的強制性が現出する。

「除名」はわたしが子どものころから書きつづけたノート『Cahier』のなかの1970年の3月、大学を卒業した日の記録にこの詩を書き写して、わたしが大学を出て、社会に出て行くときの思いをこの詩に代弁させている。わたしの社会への船出は、大学の全共闘運動のあと始末で、キャンパスに機動隊の警官たちがたむろする状況の惨憺たるものだったが、目の前に存在する政治的集団とは別の人間集団と連帯しなければならないという思いだけは激しかった。〝幻の民衆〟である。わたしはわたしがあらためて連帯するべき、豊かな人生を生きようとする、懐かしくも愛するべき仲間たちをいまも探しつづけているのではないか。そういう気がして仕方ない。

目次

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[今週の一枚の写真]
1967年8月 熱風の新宿。

これは今年の夏ころの発表になると思うが、『全記録 スワノセ・第四世界』のわたしが担当したノンフィクション部分にちょっと書いているのだが、わたしのフジテレビAD時代の取材風景の写真である。真ん中の横縞のTシャツを着ているのがわたし、その隣がもう亡くなったが、のちにインテリアデザイナーとして活躍した安部賛平さん。仲が良かった。
このときの写真は四枚、残っている。撮影者はのちに動物写真のカメラマンとして活躍する内山晟氏だった。
時代は1967年8月。早稻田大学文学部の2年生である。この年の夏、新宿の東口、風月堂や汀(ジャズ喫茶?)、LSD(ゴーゴー喫茶=ディスコ)ほかの店に、いわゆるフーテンたちが集まって、東口駅前広場の芝生にたむろして夜更かしし、マスコミから〝フーテン族〟の呼称をもらって大きな話題になった。わたしはこのとき、フジテレビの社会教養部というところで、当時、流行のスタイルの番組だったニュースショーのアシスタント・ディレクターとして、のちにフジテレビを辞めて『スワノセ・第四世界』を作る上野圭一氏の下で働いていて、「見かけもフーテンみたいだし、年齢的にもちょうどいい」とおだてられて、フーテン族に潜入取材で仲間入りした。写真はそのときのものである。
こういう本格的な取材は初めての体験で、わたしの記憶では、大学一年の終わり頃、見よう見まねで小説のようなモノを書いて、「オレは人に読んでもらえるモノを書けるようになったかも知れない」と思えるようになった矢先のことだった。これはそれなりにつじつまの合う文章を書けるようになったということなのだが、ある程度論理的にものを考えるようになれた=つまり、一人前の知的な青年になろうとしていた、ということだったのだろう。

昔の新宿駅の殺風景な佇まいが懐かしい

テレビの取材でのフーテン族潜入体験はわたしにとって、衝撃的な、子供だった人生観がひっくり返るような経験だった。フラフラと麻雀仲間や女の子たちと遊んでばかりいたわたしに、このままではダメだ、お前は全然世の中に通用しない、というNGを突きつけられた体験だった。ここから本当に大学生として、勉強し始めたといっていい。

もう少し詳しいことを『全記録 スワノセ・第四世界』のなかで書いていますから、本が出たら読んでください。

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[今週のTVドラマガイド]
『24』のこと。面白かった。

『24』のことを一番最初に知ったのが、いつごろのことだったか、はっきりした記憶がない。調べると、アメリカで放送開始されたのが2001年で、日本でビデオが発売になったのは2003年から。わたしの記憶では、マガジンハウスの女子社員(沖祐子だと思う)が「あの番組、面白い。ポテトチップスを食べながら見てるの」と言っていたような気がしているのだが、そのころはもうマガジンハウスをやめていたのだから、これは気のせいかも知れない。この作品を通して全部見てみようと思ったのは、いまから10年くらい前で、そのころ、『LOST』とか『PRISON BREAK』とか、何本も長尺モノのアメリカのテレビドラマの存在に気が付いて、それを夢中でみたのである。このとき、『冬のソナタ』とかイ・ビョンホンの『美しき日々』とか、韓流のドラマも見た。

今度あらためて『24』を通してみてみようと思ったのは、いい加減筋書きは忘れているのに、面白かった記憶だけは残っていて、もう一度見てみようと思ったのである。シリーズは全部で102巻+『リディプション』1巻あった。通してぶっづけで見ると170時間くらいあるらしい。これを原稿書きをしながら、一ヵ月くらいかけて見たのだが、とにかくものすごく面白く、楽しめた。
物語自体の起承転結だったり、序破急だったりする展開も楽しめたが、アメリカのこういう作品の持っているタブーというか過剰刺激性というのがよく分かって勉強になった。あんなふうに人間がバンバン死んでいってはたまらないなと思うが、アメリカの人たちの日常感覚の生と死というのはあんなモノなのだろうか。


アメリカで生まれていたら、ジャック・バウワーみたいになりたかった

わたしはテレビドラマもそうだが、小説も長い作品が好きで、日本の長尺モノのテレビドラマはそれほど面白いと思うものはなく、トキオの長瀬智也と岡田准一が主演したクドカンの『タイガー&ドラゴン』や、同じく長瀬の『池袋ウェストゲートパーク』などは、長瀬の快演(怪演?)が楽しめた。どうしても面白いドラマというと、暴力肯定作品を支持してしまう。世の中に暴力沙汰のない平和はなかなかやってこない。

小説で長編というと、若いころ、ムキになって読んだ中里介山の『大菩薩峠』や山岡荘八の『徳川家康』などを記憶している。それから、長尺モノというと必ず名前が出てくるハヤカワSF文庫の『宇宙英雄ペリー・ローダン』(現在第470巻くらいまで出ているという話だ)も100巻くらいまでは買って読んでいるが、これは途中で不死の命というようなことを言い出したので、バカバカしくなってやめた。そこまで長くないのだが、学生時代からヘンリー・ミラーやウィリアム・フォークナー、お国が違うがドストエフスキーやプルーストの小説なども読んできている。
自分が書いた作品で単一で一番長いのは『「平凡」物語』で750頁あり、これが四百字原稿用紙1500枚くらいではないか。三部作では『KUROSAWA』とか『UWF戦史』はふたつとも原稿用紙で4000枚くらいあると思う。
文章は魔物で、ひとつのことについて、俳句のように一行で済ませることもできれば、原稿用紙4000枚の作品に書きあげることもできる。長い作品は冗長という批判もあるが、わたしは無駄は覚悟の上で、饒舌で乱雑で、とにかく徹底的にやっている感じのする長い作品が好きなのである。

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[編集後記]
ほうれん草ラーメンのこと。

しばらくラーメンを食べずにいて、三週間ぶりくらいに行きつけのラーメン屋(池袋西口の横浜家系池袋商会)に行ったら、店の人たちがわたしの好物がほうれん草をトッピングしたラーメンだということを覚えていてくれて、こういうラーメンを作ってくれた。

アメブロのダイエット話のところで書いたが、無駄な間食をやめようと思っているので、そうすればラーメン食いとダイエットを両立させることができるかも知れないと考えているのだが、どうなるだろうか。とにかく、ラーメンを食べずにいるのは、うな丼や和牛のステーキを食べずにいるのとおなじくらい難しい。下の写真は、去年の11月段階で作ってもらったほうれん草トッピングラーメン。

ほうれん草の量が全然違う。

この店です。美味しい。

またほうれん草ラーメンを食べに行きたい。

本日はここまで。
次号の Jasmine Editorials #11 は3月21日に作りあげる予定です。

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